床にへたり込んだ俺の目の前に、小瓶に入った液体が差し出された。
少し目を上げるとニアがいる。「お疲れ様。最初としては頑張ったと思うわ。このポーションを飲めば体力が回復するから、どうぞ」
彼女はルードよりはよほど信頼できる。
瓶を受け取って赤い液体を一気にあおった。 味は正直、薬臭くてうまいとは言えない。 それでも渇ききった喉を滑り落ちる感触が心地よい。すっかり飲み干すと、確かに体が楽になった。
俺は立ち上がって空き瓶をニアに返した。「それから、これも」
ニアは今度は古びた巻物を渡してきた。
「これは?」
「解呪のスクロール。いつまでも呪われた装備だと、困るでしょう。後で読んでみて」
「ありがとう!」
まあその呪われた装備をそうと言わずに寄越したのは、そこにいるルードなんだが。
ちなみにヤツは全く反省のない顔で、肩をすくめている。「親切にしてやるのも、もう十分だな。ニア、そろそろ行くぞ」
「うん」
ニアとルードは連れ立って洞窟を出ていく。
洞窟の出口でニアが振り返った。「ここから西の海岸を南に行けば、町があるから。一度行ってみるといいわ。それから焚き火の横の袋は、あなたへのささやかなプレゼント」
「俺からも最後の忠告だ。森の民の尖った耳は、差別と迫害の対象になる。町に行くなら隠しておけ」
「お互い生き延びていれば、またいつか会えるわ。さようなら」
二人は口々にそんなことを言って、今度こそ本当に洞窟から出て行った。
大して広くもない洞窟の中で、俺は一人になった。 「さて、ニアの言う『プレゼント』は、っと……」俺はまず、袋の中身を確認してみることにした。
背負うのにちょうど良さそうな大きさの袋の中には、カチカチに固いパンと干した果物、さっきもらった赤いポーションがいくつか、それから色違いのポーションと巻物が何枚か入っていた。 ルードの呪われた装備よりよっぽどまともである。ありがとう、ニア。「まずは装備の解呪をしないと」
赤黒く光る剣と盾は手から離れてくれず、しかもやたらと重くて不便で仕方ない。
俺はもらった解呪のスクロールを開いて読んでみた。口に出して巻物の文字を読み上げると、装備が白い光に包まれた。
おっ、これが解呪か? そう思ったのもつかの間、剣と盾の赤黒い光が抵抗するように強まって、白い光を吹き飛ばしてしまった。 当然のように剣も盾も手から離れない。「嘘だろ、解呪失敗かよ」
思わず愚痴ると、剣を握った手に痛みが走った。
見れば剣の柄から小さい針のようなものが飛び出して、手のひらに食い込んでいる。そこから少し血が流れた。呪いの効果(?)のようだ。「くっそ」
小さい傷とはいえ、こんなのがずっと続くのはごめんである。
なんで解呪に失敗したのだろうか。 もう一度解呪を試したくて、袋の中を漁ってみる。 すると巻物ではなく小さい冊子が入っていた。開いて読んでみると――『巻物(スクロール)の上手な使い方。
巻物は魔道具の一種です。きちんと魔力を込めて、できれば魔道具のスキルを利用しながら読み上げましょう』魔力とかスキルってなんじゃそりゃ! ゲームじゃあるまいし!
……うん? ゲームか。 俺はふと思いついて、頭に浮かんだ言葉を言ってみた。「ステータスオープン!」
名前:ユウ
種族:森の民 性別:男性 年齢:15歳 カルマ:0レベル:1
腕力:1 耐久:2 敏捷:1 器用:1 知恵:1 魔力:1 魅力:1スキル
剣術:0.1 盾術:0.1 瞑想:1 なんつーか、底辺高校のヤンキーもびっくりなほぼオール1である。 あとスキルの0.1ってなんだよ。1未満なんかあるのかよ。魔道具とやらのスキルはないわ、魔力は1だわで解呪に失敗した理由が分かってしまった。
スキルをゲットするなり、ステータス(?)を上げるなりしないとどうにもならないのだろう。 しかしどうすればいいのか?俺はオール1の中で唯一2である耐久に注目してみた。
これまでの俺は難破船から放り出されて命の境目をさまよい、やっと起き上がれるようになったと思ったらグミの魔物にボコられてまた死にかけた。ということは、死にかけて何とか生き延びたから耐久力が上がったのか? そんなバトル漫画の主人公みたいな話があるのか?
まあ、筋トレに励めば腕力が上がるという話なら理解できる。 敏捷や器用も鍛えりゃ上がるんだろう。問題は、肝心の魔力の上げ方が見当もつかないことだ。
あとは知恵と魅力も分からん。ていうか知恵と魅力を鍛えるって何だよ。 知恵は今さら勉強に励めってか。 魅力はさらに理解不能。セクシーポーズの練習でもすりゃあいいのか?途方に暮れた俺は、ため息をついて焚き火の横に腰を下ろした。
ぼやけた視界に飛び込んできたのは、エリーゼの心配そうな顔だった。「ご主人様、良かった……。目を覚ましてくれて」 気がつけば、俺はベッドに寝かされていた。 どうやらエリーゼがやってくれたらしい。「お体はいかがですか? どこか痛いところは?」「大丈夫だ。……ニアとルードは?」 部屋の中に彼らの姿はない。 エリーゼは首を振った。「わたしが気づいたときは、あの人たちはもういませんでした。ご主人様だけが床に倒れていて」「そっか」 俺は体を起こした。 別にめまいもしないし、痛みもない。 動揺していたせいで攻撃をまともに食らってしまったが、俺だって超一流の腕前なんだ。 ただルードもかなりの手練れだな、あれは。「何があったのですか?」 エリーゼの問いかけに、俺はちょっとだけ考えてから言った。「あの二人の触れてほしくない部分まで、無遠慮に踏み込んでしまって。彼らは俺の命の恩人だが、向こうにとって俺はただの行きずりの相手だ。馴れ馴れしくしすぎて怒らせてしまった」 エリーゼは何も言わない。 俺の嘘を見抜いているだろうが、心遣いがありがたかった。「はあ……」 それにしても予想外の話を聞いてしまった。正直、まだ心の整理がつかない。 船の事故で死んでしまった、十五歳の少年。俺は彼の名前すら知らない。 どうやって償えばいいんだろう。 けれどニアの望みを手伝ってやることはできない。 だいたい、のぞみの部屋だって本当かどうか分からないのだ。 そんなあやふやな状態でヨミの剣を強奪するなど、パルティアを敵に回して大変なことになってしまう。 ニアとルードのことは忘れて、今まで通り過ごす。 それ以外に取るべき道は見えない。 俺は結局、無力だった。 虚しさがこみ上げてくる。「……今日はもう休もうか」「はい」 ニアとルードのために取った部屋が無駄になっ
ニアはゆっくり続ける。「わたしたちが海岸であなたを見つけたとき、あなたは既に息絶えていた。森の民だということは、すぐに分かったわ。わたしはもう、誰一人として同胞を失いたくなくて――」 彼女は胸に手を当てた。 いつの間にかニアの体が淡い緑光に包まれている。「エーテルライトの力を使った。莫大な魔力を屍体に注いで、命を呼び戻した」 ――違う。とっさにそう思った。 森の民として生きていた十五歳の少年は、あのとき死んでしまった。 彼の命が呼び戻されたんじゃない。 あやふやな前世の記憶を持った『俺』がたまたま体に入り込んでしまったんだ。 俺が覚えているのは、船が海に沈みゆく場面。 あれが本来の『彼』としての最後の記憶だろう。 肉体に刻まれたわずかな記憶だけを引き継いで、無関係の俺が体を乗っ取ってしまった。 そう考えると急に納得がいった。 十五歳時点でオール1というステータスの不自然さも。 森の民の生まれでありながら魔法の才能が伸びなかったのも。 全ては異世界人である『俺』のせいなのだろう。「俺は止めろと言ったんだがな」 吐き捨てるような口調でルードが言う。「今のエーテルライトに宿る魔力は、多くが森の民の魂に由来するもの。戦争で虐殺され、炎に巻かれて死んだ同胞たちの魂を魔力として保存した。お前の蘇生に同胞の魂が何人分、使われたと思う?」 俺は答えない。答えられるはずがない。 ニアは首を振った。「それはいいの。エーテルライトの中の人々に問いかけて、あなたを蘇らせるのに同意してくれた人の力を使ったから。中にはあなたの親族もいたわ。みんな若いあなたを心配していた」 若い。その言葉が引っかかった。 改めてニアを見る。 彼女は少女の姿をしている。せいぜい十三、四歳の出会ったときと変わらない姿を。 森の民は長寿の種族。 けれど子供の成長は他種族と変わらないと、魔法都市国家のディアドラが言っていた。 俺自身、十五歳の
けれど俺は思ったのだ。 六年間この大陸を放浪していたというニアとルード。 その旅路はまるで、『何かを探しているようだった』。 ただの印象だが間違っていないと思う。 俺はのぞみの部屋とやらには興味はない。 望みがあれば自分の力で叶えるつもりだからな。 今までそうしてきたし、この先もそうだ。 だが――ニアとルードはどうだろう。 ルードの反応からして、彼らが秘宝に関わっているのは間違いない。 では何を探しているのだろう。 六年、いいやそれよりももっと前から。 彼らは放浪の旅を続けて何を求めているのだろう。 話を聞いてみたいと思った。 命の恩人であり、残り少ない同胞である彼らから。 そして、彼らの望みに俺が手を貸してやれるならそうしてやりたい。「ルード」 ニアが言う。どこか諦めたような、疲れたような声で。「話してみましょう。彼だって森の民なのだから」 ルードは答えない。沈黙は消極的な肯定だった。 俺は中堅クラスの宿を取った。 安宿じゃあ壁が薄くて隣の部屋に声が漏れるかもしれない。 かといって高級宿は旅人の風体の俺たちに不釣り合いだからな。 一番広い一室に集まる。 エリーゼには遠慮してもらった。「ごめん、エリーゼ。邪魔者扱いするつもりはないんだ。ただ、この話は聞かないほうがきみのためになる」「分かりました。ご主人様がそうおっしゃるなら、わたしは何も不満はありません」 エリーゼには隣室で待機してもらっている。 一応、周囲に人がいないか確認した。 俺だって腕利きの冒険者だ。気配があれば気づく。「で、だ」 ニアとルードを眺めやって俺は切り出した。「二人はエーテルライトを持っているのか?」 単刀直入だが、ここまで来てもったいぶっても仕
「ニア、ルード!」 俺が声を上げると彼らは振り向いた。不審そうな顔をしている。 思わず駆け寄ってルードの腕をつかむ。「俺だよ、忘れちまったか? 六年前に難破船から助けてもらった、ユウだ」 水色の髪の少女ニアが目を見開いた。「あのときの? 雰囲気が変わって分からなかったわ」「あの死にぞこないか。いい加減腕を離せ」 緑の髪の青年ルードが不機嫌に言う。「ご主人様。その人たちは?」 背後でエリーゼの声がする。しまった、彼女を置き去りにしていた。 俺はルードの腕を離してエリーゼに向き直った。「俺の命の恩人だよ。前に何度か話したことがあるだろ」「あぁ、難破船の」 エリーゼはうなずいてくれた。「で、なにか用か?」 ルードがぶっきらぼうに言う。「用ってわけじゃないが、六年ぶりに再会したんだ。どこかに腰を落ち着けて話をしていかないか?」 そう言ったが、二人の反応は鈍い。 俺は付け加えた。「なんでもおごるよ」 ルードがピクリと体を震わせた。「……そういうことなら、乗ってやろう。俺たちは昼飯を食いそこねた。どこかうまい飯屋に案内してくれ」「オッケー。じゃあ適当に見繕うよ。――エリーゼ、すまないけど付き合ってもらえるか?」「はい、もちろん」 というわけで、妙な再会を果たした俺たちは食堂を探して歩いていったのだった。 夕食どきには少し早かったが、さすがは人でにぎわう王都。 半端な時間でも営業している食堂を見つけて、俺たちは入った。「それじゃ再会を祝って。乾杯」 エールのジョッキをぶつけ合わせて、ごくごくと飲む。 ニアとルードは最初は無言がちだったが、これまでの話を少しずつ聞かせてくれた。「わたした
思いもよらぬところで砂糖を入手した俺たちだが、とりあえず甜菜の種を増やさないことにはどうしようもない。 今年の冬は今まで通りに過ごすことにした。 羊毛の染色剤の在庫がなくなりかけているので、今年も王都パルティアへ買い出しに行く。 年末にはまだ早い時期だったが、王都はにぎやかだ。「王都はいつも賑わっているなあ。というか、去年より人が多いんじゃないか?」 俺が言うと、いっしょに来てくれたエリーゼが教えてくれた。「今年の春、アレス帝国に王女様が輿入れしたでしょう。秋になってご懐妊が発表されたんです。それで、パルティア王国とアレス帝国の間で使節団が行き来して、お祝いしてるのです」「へぇ~」 結婚してすぐ懐妊か。 確かパルティアの王女と結婚したのは、アレス帝国の第三皇子とかだったと思う。皇太子じゃない。 つまりパルティアにとってもアレスにとっても跡継ぎではないのに、そんなにお祝いをするものなのか。 ちょっと不思議に思ったが、両国の王族の結婚は国同士のつながりを深める。 庶民の俺には伺いしれないものがあるんだろうな。「ほら、噂をすれば。あちらの大通りを帝国の使節団が通っていきますよ」 エリーゼが指さした方向に視線をやれば、人だかりの向こうに立派な馬車が連なっているのが見えた。 遠目にもパルティアとは少し違う雰囲気の馬車で、なるほど別の大陸の国らしい。 俺は人だかりをかき分けて見物のために前に出た。 馬車の窓にはカーテンがかかっていて、中は見えない。 けれど、ふと。 妙な光を見た――気がした。 カーテンの細い隙間から射抜くように視線が投げかけられたような。 禍々しいまでの赤い光に射抜かれたような。「ご主人様。どうしましたか?」「……いや。なんでもない」 エリーゼの声で我に返る。 気がつけば手のひらにじっとりと嫌な汗をかいていた。 ――なんだったんだ。 俺は肌身離さ
収穫祭が終わった秋の後半、俺は畑で腕を組んでいた。 小麦の収穫が終われば未収穫の作物は残り少ない。 その少ない作物の中に、例の赤カブが含まれている。 今年初めて育てた作物である。 で、赤カブも十分に育ったので引っこ抜いてみたのだが。 赤い色のカブにまじって明らかに白いカブがあった。 その数、およそ十本に一、二本の割合。「なんだろうな、これ。突然変異?」 赤カブはカブらしく丸っこい形。 白いほうはもう少し大根に近く、ごつごつとしながらも丸い形だった。「近縁種の種がまじっていたのではないか」 と、イザクが言った。「そうかも? まあ、原因は分からんよな。問題はこの白いほうが何なのか」 実は疑いがある。 これ、|甜菜《てんさい》じゃないか? 甜菜。別名をビーツ、砂糖大根。 砂糖の原料になる作物だ。 もしこれから砂糖が作れるとなれば、非常に大きな利益を産むだろう。 何しろパルティアで流通している甘味はハチミツかサトウキビの黒砂糖。 どちらも生産量は限られる。 特にサトウキビは温暖な気候でなければ育たないので、パルティアの中でも南のごく一部の地域、それに南国のササナでだけ栽培されている。 前世日本の記憶はほとんどが曖昧で、甜菜の形だってふんわりとしか覚えていない。 ましてや甜菜から砂糖を作る方法など知らない。 だが巨大な利益を目の前にしてみすみす逃すわけにはいかん。 けれども今年、こいつは花を咲かせなかった。つまり種が取れていない。 種が取れないと来年の栽培ができない。「なんで花が咲かなかったんだろう?」 俺の疑問にイザクが答える。「二年草なのだろう。一年目は花をつけず、二年目になると咲く」「ということは、このまま収穫せずに育て続ければいいのか」 何個かは砂糖抽出を試すために収穫するとして、残りはそのまま土に埋めておくことにした。 さ